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明治・大正・昭和の帯広まちなか風景写真

 帯広の街の風景を明治・大正・昭和の昔と今の写真で見比べてください。

昔の写真と文:「帯広市史」より

駅前通

 駅前通 (昭和26年)

駅前通(昭和26年)

地場商業の再興
昭和21年(1946)当時、市内卸売は営団所属11店舗、統制組合所属9店舗がその総てであった。そして、卸売業従業者126人の過半は準公務員と、依然統制色を残していた。小売業は、店舗308、従業員887人のうち、家族従事が53%を占め、早くも個人商店に復帰していた。 昭和25年(1950)に統制撤廃となり、卸売は国家から商業者へと戻され、173店舗となった。どれもが商品を右から左へと動かす「買継商」ばかりで、元卸、中卸は皆無であった。小売店舗も1,027となった。小売の急増には家持ち地場商人の復帰が最大要因であった。卸売立地は大通り以西で駅に近く、小売は駅前通り西二条を挟んでやや西寄りの東西の店舗立地であった。
  写真: 左 キネマ館、ホシ薬局の奥には、藤丸百貨店(昭和5年開店)が見えます。    

駅前通 西2条南9丁目(平成27年7月)帯広駅前通 西2条南9丁目 (平成27年7月)

駅前通(主要道道帯広停車場線)西2条通、平原通の街路整備事業は、平成10年に完成。平原通商店街では、街路整備に合わせて、鹿のモニュメントをはじめとしたストリートファニチャーの整備を行い、道東の中核都市にふさわしい買物空間を創出し、十勝最大の夏祭り「平原まつり」が毎年開催されるなど、賑わいを創出している。
写真: 左奥 藤丸デパート(昭和57年新店舗開業)  
 

藤丸デパート開店直後の西2条 (昭和5年)

藤丸デパート開店直後の西2条(昭和5年)

開町二十五年、市街の動き
大正8年(1919)6月、開町二十五年記念祭が行われ、提灯行列などで開拓以来の町の目覚ましい発展を祝った。 帯広市街の変化についても、顕著な動きがみられた。大正7年(1918)の裁判所移転、その用地の解放と大正11年(1922)並びに昭和2・3年(1927・1928)の刑務所用地の解放は、西二条九・十丁目付近と鉄南地区を大きく変貌させた。大正10年には、帯広町役場が西三条八丁目に新築移転して威容を現し、また翌年帯広郵便局も西二条八丁目に移築した。 また、昭和5年に、明治30年(1897)来の老舗藤丸呉服店が西二条九丁目に藤丸デパートを新築し開店した。その付近には、商店や映画館などが建ち並び、この辺りが帯広市街・帯広商業の中心地となっていった。盆踊りは木賊原遊廓にしか許されていなかったが、大正12年ころからは街中でも許されるようになった。そして、急激な人口増加のため東一条十六・十七丁目の文化街をはじめ各地に住宅街が生まれ、市街地は鉄南方面などへと拡張していった。さらに昭和7年には、帯広町の病院と医院は20有余を数え、十勝の医療センターとしての地位を占めるようになった。和洋折衷の建物も広まりだし、屋内では薪ストーブが使用された。
  写真:右手前は、帯広郵便局、右奥が藤丸デパート

藤丸デパート西2条南8丁目から駅方向(平成27年7月)帯広駅前 西2条南8丁目から駅方向 (平成27年7月)

写真:右手 藤丸デパート 、正面突き当り 帯広駅


宮本富次郎商店 西2条5丁目 (昭和5年)

宮本富次郎商店(昭和5年)

古建築
古い建物は、徐々にその姿を消してきたが、そのような状況の中で昭和58年(1983)から北海道建築士会十勝支部帯広分会と帯広市教育委員会は、帯広市の古建築調査を十四カ所(平成13年6月現在)にわたって実施、その調査報告書を十四冊刊行した。
  宮本商産(帯広市西二条南五丁目) 建築年大正8年(1919)。 店舗兼住宅として建てられた洋風建築で木骨レンガ造り、一部レンガタイル張り。 玄関上部の御影石による破風(はふ)、長押などは独特の様式。レンガ工法はイギリス積みであり、正面開口部にはレンガタイルが張られている。窓上部に埋め込まれているベルト式のシャッターは大変珍しい、外観は美しく華麗、赤レンガの温かみを感じる。  
  写真:西2条5丁目から帯広駅方向

駅前通 西2条南5丁目(平成27年7月)帯広駅前 西2条南5丁目から駅方向 (平成27年7月)

写真:右手 宮本商産(株)の「赤レンガ」

 
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