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明治・大正・昭和の帯広まちなか風景写真

 帯広の街の風景を明治・大正・昭和の昔と今の写真で見比べてください。

昔の写真と文:「帯広市史」より

帯広駅

 鉄道開通、一番列車帯広停車場に着く(明治38年10月21日)

鉄道開通、一番列車帯広停車場に着く(明治38年10月20日)

明治38年(1905)待望の釧路―帯広間の鉄道が開通し、初めての汽車が帯広停車場(帯広駅)に滑り込んできた。また40年には、狩勝トンネルの完成により旭川―帯広間が開通、函館にまで通じた。      

明治末期の帯広駅前明治末期の帯広駅前

明治38年(1905)10月21日おおよそ五百人の町民を集め釧路―帯広間の開通を盛大に祝った。さらに40年9月8日には狩勝トンネル貫通により帯広―落合間が開通して伏古駅(昭和29年10月「西帯広駅」と改称)も営業を始めた。 この鉄道の全通によって、十勝の開発は文字通り軌道に乗ることとなり、その行政中心地である帯広駅もまた道内有数の将来性ある市街として、着々とその地歩を固めていった。  
帯広駅前(大正8年)

帯広駅前(大正8年)


 

帯広への鉄道集中 新装の帯広駅(昭和5年)

新装の帯広駅(昭和5年) 旭川、帯広、釧路間開通の幹線釧路線は、大正10年(1921)さらに厚岸、根室へと延長され、「根室線」と改称された。同15年(1926)には帯広起点に北上する上士幌までの「士幌線」が、昭和8年(1932)には帯広起点に南下する広尾までの「広尾線」がそれぞれ開通した。 これに先立ち同4年(1929)着駅を戸蔦、支線を八千代、上美生とする十勝鉄道「大通駅(新帯広駅)」が、鉄南、大通14丁目に開業されたのである。5本の鉄路が帯広を中心として、平野に放射状にのびる鉄道の先行敷設を受けて、帯広の座は行政上ばかりか、経済的にも揺ぎないものとなり、駅前には旅館、待合所と称する食堂、そして病院が集中した。  

帯広駅(昭和5年)帯広駅(昭和5年)

大正13年(1924)の、帯広駅年間乗降客数は64万人であった。道内都市代表駅としては、旭川、小樽に次ぐ第5位の利用数であった。貨物取扱数年間27,500トンは、道内取扱数の16%を占め第1位であった。隣村の芽室駅の貨物取扱数が続いての第2位であったから、雑穀移出がいかに凄まじかったか想像に難しくない。   昭和3年(1928)の帯広駅年間乗降客数は、97万人(全道第5位)とさらに増加を続けた。野付牛駅は67万人(第7位)、釧路駅は56万人(第8位)であった。

 帯広駅(昭和30年前後のころ)

帯広駅(昭和30年前後のころ)

帯広民衆駅(昭和42年9月)帯広民衆駅(昭和42年9月)

市は、都市改造事業として駅前地区一帯を昭和38年から44年までに面目を一新させ、見違えるように改造した。それに華をそえたのは、昭和41年秋の新装なった民衆駅であった。そして、西三条通りは拡幅され、またバスターミナルの建設、経済センターの竣工などにより市中心部の建物は一段と高層化した。  

帯広駅前

昭和45年当時の駅前風景

昭和45年当時の駅前風景 帯広駅前都市改造事業 昭和38年から43年までの5カ年計画で始められた駅前地区都市改造事業は、資金関係や物価上昇など2カ年延長して45年に完成した。

帯広駅前風景(平成27年7月)今の帯広駅前風景(平成27年7月)

  平成8年11月に鉄道高架事業が完了し、平成15年には帯広駅周辺土地区画整理事業も完了したことで、帯広駅前の風景はすっかり変わりました。          
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